大和の古墳探索

アクセスカウンタ

zoom RSS ハミ塚古墳  (はみづか)

<<   作成日時 : 2011/11/06 08:12   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 6 / トラックバック 0 / コメント 0

画像
★所在地:天理市岩屋町
★墳丘:方墳(復元長東西48.8m、南北45.6m)南に開口している。周濠の痕跡あり。
★石室:花崗岩切石の両袖式横穴式(現存長12m)玄室長5.7m、奥壁幅2.8m、玄門幅2.8m、羨道現存長5m、幅1.8m
★棺:竜山石製刳抜式家型石棺(縄掛突起6個)
★出土遺物:須恵器片、土師器片、金環、太刀の環頭につく鉄地銀張りの環頭片、 刀装具と思われる金銅製品2、長頭鏃片。
★築造年代:6世紀末〜7世紀初
★発掘調査:1994年〜1997年
★被葬者:物部氏関連

特徴
@岩屋谷に位置する巨大な方墳で終末期の方墳としては石舞台古墳(1辺51m)、カナズカ古墳(1辺50m)に次ぐ規模を誇る。尚、研究者の間では、この時期は蘇我氏の全盛期で、蘇我馬子の墓とおもわれる石舞台古墳も大型方墳である事から、大和の方墳は蘇我氏系との見方が一時期あったがハミ塚古墳は蘇我氏と対立した物部氏の本拠地にあることより、再考を迫られる結果となった。

A石室内面と、石棺表面を漆喰で白く塗った痕跡があり更に玄室床面には平たい石の上に白と黒の玉砂利を5〜10cm敷きつめてあり道教や陰陽道の影響が考えられている。

画像画像
(左)墳丘  (右)説明板
画像画像
(左)墳丘規模   (右)現地説明会資料 
画像
 発掘を伝える当時の新聞

見学記 おすすめ度(本来のランクは4〜5なんですが・・封鎖中なので)  
このハミ塚古墳は元々古墳という認識は地主以外は地元の方も含め無かったようで小生もこの古墳の横の道をいつも通っていたのですが発見された当時は「えぇ!これが古墳??」とびっくりしたものでした。1960年代に付近を通る名阪国道の工事の際、古墳の南側を流れる高瀬川の川幅拡張に伴う側道工事で羨道部の石が抜かれたようです。更に1994年に古墳南側の道路拡張工事で巨石が発見され、これを契機に調査が開始されました。元々江戸後期から明治の間に沢山の石が運び去られたようで現状では玄室、羨道部共に1段目しか残っていませんでした。墳丘も元の姿がわからないほど削られてしまっています。現地説明会は1997年4月に行われ巨大な幻の石室を目の前で見て大変興奮したのを思い出します。今は残念ながら埋め戻されており、羨道部の一部の石材が見えるだけで古墳と気ずく方はかなりの通でしょう!(笑)コンクリートの用壁にある説明板がわずかに古墳であることを主張しています。



【参考文献】
・ハミ塚古墳 発掘調査報告書  橿原考古学研究所
・ハミ塚古墳、現地説明会資料

2011.11.6改定(363)

テーマ

注目テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
気持玉数 : 6
なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー)
ナイス ナイス
驚いた

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
ハミ塚古墳  (はみづか) 大和の古墳探索/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる