大和の古墳探索

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zoom RSS 條ウル神古墳 (じょううるがみ)

<<   作成日時 : 2017/07/16 09:46   >>

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★所在地:御所市條
★墳丘:全長約70m強の前方後円墳(2015年判明)
★石室:両袖式横穴式、玄室長7.1m+α、幅2.4〜2.7m+α、高3.8m+α。東に開口している。
★棺:二上山凝灰岩・刳抜式家型石棺、縄掛突起長辺に3対、短辺に1対の計8個。玄室にスペースがあり追葬されている可能性が指摘されているが現状は土砂が0.7〜1m程度堆積しているなかで追葬時の石棺が見えてないことより追葬は木棺の可能性が高い。
★出土遺物:金銅製馬具の一部。
★築造年代:6世紀後半
★発掘調査:2002年:石室の所在と現状把握。2013年〜2014年:範囲確認調査。2016年:前方部の落込み部の確認。
★被葬者:巨勢氏の盟主。他に蘇我氏説もある
☆奈良検定テキスト掲載古墳(但し巨勢山古墳群として)

特徴・その他
@大正5年出版の「奈良県史跡勝地報告」に「條の古墳」として当時の奈良県技師の西崎辰之助氏によって報告されていたが墳長、石室、石棺の規模が信じがたいほど大きい事、他にあまり例の無い縄掛突起が8個もあるとされていた事より資料そのものの信憑性が疑がわれていたが実際の調査で西崎報告の正しさが実証され縄掛突起が8個あり、大和でも見瀬丸山古墳、石舞台古墳に次ぐ有数の規模とわかった。
A石室の形態(玄室幅と玄室長さの比)がこの地域の特徴でもある狭長な玄室で巨勢氏との関連が注目される。
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(左)説明板 (右)巨大な石棺
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(左)網干先生より説明 (右)墳丘(2002年の調査当時)
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(左)別角度から見た墳丘 (右)墳丘(2008年7月現在)

見学記 おすすめ度(石室公開されれば ) 
現在、石室開口部は埋め戻され墳丘への立入りも民有地の為、禁止され説明板があるだけです。2002年の現地説明会は一説によると約6000人も見学者が訪れました。小生もその一人ですが見学は4人ずつ交代で約10秒見れるだけでしたが素晴らしい石室と石棺で大和にも未だこんな素晴らしい古墳が残っていたんだと大変感動を覚えました。石室内は土砂がかなり流れ込んだ状態(昔は水浸しの状態)で下に副葬品等が埋まっている可能性が高く石棺内においても盗掘者が取り残した冠か沓の残片が比較的まとまってあり激しい盗掘にあっていない可能性が高く石室内の発掘調査が待たれます

追記
2015.3.27 
2013年〜2014年にかけて範囲確認調査が古墳の周辺11箇所に調査区を設け行われ、南側調査区で直線的に伸びる前方部の端が検出され、墳長約70メートルの前方後円墳と判明。畿内で造られた前方後円墳の中では、最後のグループの一つとして注目される。
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写真はいずれも広報御所より

2017.7.15 2016年5〜7月に前方部に長さ約5m、幅1.5mの調査区を設け発掘調査が行われ深さ1.7m以上の「落ち込み」が確認され円筒埴輪や須恵器に混じって、凝灰岩製の石棺の破片、花崗岩製の石室石材の破片が多数発券され前方部にも埋葬施設があった可能性が高い事がわかった。見つかった石棺片は2017年7月15日から橿原考古学研究所付属博物館で始まった速報展「大和を掘る35」で初公開された。
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(写真は毎日新聞奈良版より)


【参考文献】
・古代葛城とヤマト政権(御所市教育委員会編)
・範囲確認発掘調査成果 (広報御所 2015.5月)

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