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zoom RSS 段ノ塚古墳・舒明天皇陵  更新版

<<   作成日時 : 2014/09/30 09:34   >>

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★ 所在地:桜井市大字忍阪字段ノ塚 
★墳丘:上八角下方墳(外鎌山から南西に伸びる丘陵の南斜面の先端に立地。現在前方後円形に生垣がめぐっている(南北80m、東西110m)測量図によると3段築成の方形壇の上に2段築成の八角墳が築かれている。
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★埋葬施設:文久年間(1861〜64年)の「山陵考」によると南面が崩壊し石室が露出したとあり奥の石棺(舒明天皇?)は横に、前の石棺(田村皇女?)は縦のT字型であったと伝えている。石室は全長20mを超える超大型の横穴式石室と思われる。
★出土遺物:忍阪集落内でこの陵から出土したと思われる榛原石の「加工磚」が確認されており石仏や民家の石垣に見ることが出来る。
★築造年代:7世紀中頃
★発掘調査:1992年、1994年 (宮内庁) 写真は宮内庁書陵部紀要46号より
★被葬者:舒明天皇・田村皇女(舒明天皇の母)?
☆奈良検定テキスト掲載古墳(舒明陵として)

舒明天皇は父が敏達天皇の皇子である押坂彦人大兄皇子、母は糠手姫皇女(田村皇女)で推古天皇が628年になくなった後、蘇我蝦夷の後ろ盾で即位し在位中は第一回目の遣唐使の派遣、百済大寺の造営等、内外共に多事であったようだ。日本書紀によると舒明天皇は641年に百済宮で崩御し642年に滑谷岡に葬られ643年に押坂陵(おしさか)に改葬されたとある。押坂とは現在の桜井市忍阪(おっさか)であり、古墳の多い地域ではあるが、これだけの規模を持つ同時代の古墳は見当たらず現在宮内庁が治定している舒明天皇陵である可能性が極めて高いと研究者の間では有力視されている。

延喜式によると母親の田村皇女は664年に亡くなり、その墓は舒明陵内とされている。文久年間(1861〜64年)の「山陵考」によると陵の南面が崩壊し石室の一部が露出した際、村人が密かに内部を窺ったところ石室内に2基の石棺が置かれ奥の棺(舒明天皇?)は横に、前の棺(母親の田村皇女)は縦に置かれていたという伝聞が残され合葬墳であることが窺い知れる。

八角墳はこの舒明陵を初めとし大王やそれに近い皇族に限定して造営されている。すなわち、舒明陵→斎明陵(牽牛子塚古墳)→天智天皇陵→天武・持統合葬陵→草壁皇子(束明神古墳)→文武天皇陵(中尾山古墳)と続く。白石太一郎氏によれば、八角という墳形は当時優勢を極めていた蘇我氏の大型方墳に変わるものとして創出されたもので、大王が畿内や地方の首長層に対し超越した地位を目指そうとした表れととることができる。八角の意味は中国の政治思想によるもので、天下の支配者の立場を象徴するものだろうとある。

【追記】
2015.1.15の新聞発表で奈良県明日香村の小山田遺跡から未知の石張りの巨大な掘割が発見された。一辺50m以上の方墳と思われ橿考研によると「榛原石」で墳丘を覆う古墳は、7世紀中頃に限定され、この時期に蘇我馬子の墓とされる石舞台古墳(一辺約50m)を上回る墓を築ける人物としては今まで不明であった舒明天皇(641年没)の初葬墓ではないかとの見解である。ただ研究者の間では当時の権力者、蘇我蝦夷の名前も挙げられており今後、論議をよびそうである。

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(左) 八角墳部  (右)墳頂付近に散乱する榛原石?
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(左)方形最下段の石列 (右)東側から見た墳丘

見学案内 おすすめ度
知名度は低いですが日本最初の八角墳、被葬者がほぼ絞れる(舒明天皇と田村皇女)、超大型の横穴式石室の可能性大と終末期の古墳を語る上では欠かせない重要な位置を占める古墳です。舒明天皇は後の日本の歴史を考える上で間違いなくキーパーソンの一人で奥さんは斉明天皇、息子が中大兄皇子(後の天智天皇)と大海人皇子(後の天武天皇)とまさに飛鳥時代の歴史は舒明ファミリーによって築かれたと言えます。

古墳は数年前に間伐され見通しがよくなり墳丘の状態がよく観察出来ます。古墳周辺は狭いですが生垣に沿って巡回できますので拝所から見るだけではなく是非、八角墳の墳丘を、そばで観察してください。季節にもよりますが所々に榛原石の張り石が散乱しているのを見ることができます。目視で八角墳と判るわけではありませんが「この八角墳の巨大な石室の中で舒明天皇と田村皇女が眠っているんだ」と想像するだけで、なんかゾクゾクしてしまいます!。身近でコレだけ手軽に観察できる天皇陵も少ないと思われます。忍阪散策の際には是非ご覧ください。


【参考文献】
・大和の終末期古墳 河上邦彦氏
・天皇陵総覧   新人物「往来社
・古墳の語る古代史  白石太一郎氏 岩波書店
・前方後円墳の終焉とその後  桜井市埋蔵文化センター・書陵部紀要 宮内庁書陵部


2014.9.30更新(1634)

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コメント(12件)

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ここへは、行ったことがあります。行ったことのある場所が出てくると、何となく嬉しいものですね☆^^

2009.7.2
mikomai
2014/09/30 09:45
mikomaiさん

コメント有難うございます。あっ!こちらに来られたことがあるんですね。地元民としてとっても嬉しいです。古墳ではありませんが石位寺の石仏は見られましたか?

2009.7.3
とし坊
2014/09/30 09:47
三尊形式で、レリーフのような石仏でしょうか?それなら見た記憶がありますけど、石位寺だったかどうかは?です。

2009.7.3
mikomai
2014/09/30 09:49
mikomaiさん

そうです、そうです、その仏像です。国の重要文化財で我が国に現存する最古の石彫りの三尊仏なんです。小ぶりですが、この仏像目当てで遠くから来られる方も多いと聴いてます。この近辺に赤坂天王山古墳はじめ沢山の有名古墳あります。

2009.7.4
とし坊
2014/09/30 09:52
こんばんわ、これは舒明の陵?かなり信憑性が高い気がいたします。
近くの天王山が、崇峻の陵の可能性が高いといわれているところから見て、この地域皇室の葬地だった場所の可能性があります。
石位寺の三尊は、かなり貴重な石仏で、白鳳時代?の頃ではないかと思います。
とし坊さん、古市方形墳の近くの小規模な方墳は、まだ残っているんでしょうか?

2009.7.4
古跡人
2014/09/30 09:54
古跡人さん
舒明陵は日本書紀によると押坂墓に改葬されたとありますが忍阪でコレに匹敵する古墳は皆無ですし、宮内庁が認めている八角墳ですし2棺が合葬されてるの事も古い記録にありますし僕も有力(・・と言うか他に候補ないし)と思っています。ところでご質問の件、調べてみたのですがよくわかりません。ギブアップです(笑)護国神社内には数基、未だありますが円墳ですし・・古跡人さんが言われてる古墳ではありませんよね・・古墳の名前はないんでしょうか?

2009.7.4
とし坊
2014/09/30 11:18
遺跡地図には、確か名前は書かれていなかったようで、もうなくなってしまった前方後円墳には名前が付けられていたと思いますが、この方墳には、名前がついていなかったと思います。
もうなくなってしまった、感じもいたします。

2009.7.5
古跡人
2014/09/30 11:19
古跡人さん
保存か開発か!難しい所ですが知ってる古墳がいつのまにか無くなってるというのは寂しいですよね。(コメント大変遅れ失礼しました)

2009.10.30
とし坊
2014/09/30 11:21
段ノ塚のいわれ、また八角墳である痕跡を間近でみることができたときは感動しました。玄室内だけでなく外形にも目を向けてみることも必要なんですね。

2009.11.7
風香
2014/09/30 11:23
古墳ファンには墳形派と石室派がいるようです。(笑)僕は両方ですが・・墳丘に登れる古墳には出来るだけ登ります。登るとその古墳の立地条件とかを自分なりに確認出来るんです。又、入れなくてもたとえば天武・持統合葬陵は墳丘を一周すれば草壁皇子の墓の有力候補である束明神古墳に使われている石室材と同じものが張石として使われているのを確認できます。石材で親子の関係が垣間見えてきたりしてロマンを感じます。

2009.11.11
とし坊
2014/09/30 11:25
本日行って来ました!!
見晴らしがよく、非常にいいロケーションですね!
天皇陵なのも納得です。
だだ、正面からばかり見学して、生垣から回って見忘れたのが残念無念。。。
ogi
2017/05/14 21:44
ogiさん
コメントありがとうございます。当時としてはもちろん最高レベルの古墳ですので見ごたえは十分だったかと思います。墳丘周りは一周できます(一部足場悪い所もあり気を付けてください)ところどころに謎の石材がありますので次回チェックされるのもいいかと思います。
とし坊
2017/05/18 12:04

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