大和の古墳探索

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zoom RSS 桜井茶臼山古墳 さくらいちゃうすやま) 国史跡  更新版

<<   作成日時 : 2014/09/22 07:33   >>

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大王墓か?!我が国初の石室囲む「丸太垣」
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【はじめに】
大和政権初期の大王(おおきみ)の墓の可能性がある桜井茶臼山古墳は1949 年〜50 年の第1・2次調査で、後円部墳頂の竪穴式石室が調査され赤色顔料が一面に塗られた石室から、玉杖や鏡片など多数の副葬品が見つかった。また2009年の再調査では古墳の後円部の頂上にある方形壇を掘り埋葬施設との関係を調査した結果、石室の周囲に並べられた二重口縁壺の更に外側で方形壇の裾を囲む「丸太垣」という全国で初の事例となる方形壇を取り囲む巨大な「丸太垣」の一部とみられる柱の痕跡が確認された。

★所在地: 桜井市外山 (とび) 

★墳丘:鳥見山から北に伸びる尾根の先端を利用して作られた前方後円墳で全長200m、前方部幅60m、後円部径110m・同高24mで前方部の開かない柄鏡式の代表的な古墳である。墳丘は前方部2段、後円部3段に築造されている。墳丘各段の斜面には葺石がある。埴輪は使用されていない(但し後円部墳頂には方形壇を取り巻く壷の列が見られる。)
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★埋葬施設:後円部中央に古墳の主軸に沿って南北約11m、東西約4.8m、深さ約3mの長方形の墓壙が掘り込まれている。2009年の調査で墓壙の上部の方形壇(南北約11.7m、東西約9.2m、高さ約1m未満)の周囲4カ所から幅約1メートルの溝が見つかり、いずれにも丸太がすき間なく並んだとみられる柱穴(直径30センチ)が計10箇所あった。柱が埋め込まれた深さは1.3メートルで通常はこの2倍程度が地上に出るとされる。未発掘の部分も含め当時は、地上高2.6メートルの約150本の柱が「丸太垣」として、方形壇を四角に囲っていたらしい。 「丸太垣」と名付けられたこの垣は石室周囲を邪気から守り、聖域としたとみられる。後の時代の古墳では埋葬施設を埴輪で取り囲むようになるが、古墳の系譜や祭祀の変遷を巡る資料として貴重な発見である。

墓壙の下半分に竪穴式石室がある。石室は全長6.75m、幅1.27m、高さ1.71m、天井石12枚で、その上部はベンガラを塗り込んだ赤い粘土で覆われていた。石室の壁面は板状の安山岩を垂直に積み壁面として露出しない部分にまで水銀朱が塗られていた。床面は2009年8月の調査で保存処理を行うため木棺を取り出したところ木棺を置くために岩盤をU字型に掘り下げ上に朱を塗った石や土を重ね丁寧にすえつけられていた事も判明した。水銀朱の使用量は国内の古墳では最大の200キロと推定される。木棺は従来はトガの巨木とされていたが2009年の調査で石室周辺から出土した木片を顕微鏡などで詳しく調べたところコウヤマキと判明した。(木棺は現存長5.19m、底板の厚さ22cm)

2011年6月に桜井茶臼山古墳に副室状の遺構が確認されたと橿原考古学研究所から発表された。後円部中央にある竪穴式石室の北約4mと東約6mの場所で板状の石(長さ1.5m、幅65〜75p厚さ15〜20p)が並んでいるのが見つかった。石の隙間から除いたところ空洞を確認し副室と判断した。尚、地崩れが起きている西側にも板状の石が散乱している事より3か所目の副室があった可能性がある。ただ緊急性が無いとの判断で発掘調査はされておらず中身は不明。

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★出土遺物:後円部から二重口縁壺が出土している。制作時から底部に孔が開けられているのが特徴で実用品ではなく儀式用として制作されたものと思われる。

★副葬品:大王の墓に相応しい玉杖、玉葉をはじめ、三角縁神獣鏡などの鏡片、ヒスイの勾玉、ガラス製の管玉、小玉などの首飾り、 鉄刀・鉄剣・銅鏃などの武器類 等盗掘されてはいたが素晴らしい副葬品が出土している。さらに2009年の再調査で新たに銅鏡片331点が採取され1949〜50年の調査で見つかっている破片と合わせ、計384点を文様などを他の古墳で出土した銅鏡と照合した結果、巨大権力を示す国内最多の81枚以上(内、三角縁神獣鏡が26枚)の銅鏡が確認された。

★築造年代:3世紀後半〜4世紀初め
★発掘調査:1949〜1950年,1972年(後円部東側と東くびれ部の南東部でトレンチ調査)2003年(東くびれ部、前方部東側)2009年(埋葬施設再調査)
★被葬者:4世紀初め、磐余地方に君臨した大王。
☆奈良検定テキスト掲載古墳

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見学案内  おすすめ古墳 
国道165号線沿いにあり一目で古墳と判ります。国道側の前方部の一部に柵がしてありますが、くびれ部付近で柵は途切れており墳丘に登れます。但し埋葬部は埋め戻されていますので見ることは出来ません。また季節にもよりますが雑草が生い茂り後円部中央の竪穴式石室の付近まで近寄れません。眺望も再調査当時は比較的楽しめたのですが今はあまり眺望は期待できません。でも200m級の多くの古墳が陵墓として立ち入りを制限されている中にあって近くのメスリ山古墳と共に立ち入ることができる貴重な古墳の一つです。

         

【参考資料】
・「巨大埴輪とイワレの王墓」 橿原考古学研究所付属博物j館
・現地見学会資料        橿原考古学研究所




(更新履歴)
2014.9.14 全面改訂(1743)

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コメント(8件)

内 容 ニックネーム/日時
日本書紀にも明記されているニニギノミコトの名前にもあるニニギについて、「葦原中国平定の使命を象徴したいわば玉の杵(指揮杖)の意」といわれているそうです。出土品である碧玉製の玉杖はまさに権力者にふさわしい出土品ですね。こちらへもいつか行ってみたいと思っております。
211.14.228.64
風香
2014/09/22 07:38
コメントありがとうございます!!この古墳、近鉄線から瞬間的にですが見えます。桜井市を代表する古墳のひとつと思います。玉杖の現物見ましたが、さすがに素晴らしい逸品でした。(近くのメスリ山古墳でも玉杖出てるんですがモノは断然、茶臼山の方に軍配上がります!)
61.89.163.253
とし坊
2014/09/22 07:41
近鉄車窓から見られるとは。これはショッキングな事実です(笑) 地図を確認するともしかして何度か通過してた道路沿いのような気がします。 玉杖は現在でも見ることができるんでしょうか。出土遺物を自分の目で確認するときはその時代の歴史背景が浮かび上がってくると共に、遺物から伝わるぬくもりみたいなものを感じずにはいられません。
211.14.228.64
風香
2014/09/22 07:44
風香さん 実はそうなんです。(笑)車の場合、八木方面に向かうとすれば165号線の右側にあります。(左側はゴルフの打ちっぱなしです。)玉杖はカシコウケンにレプリカはあるんですが本物は?です。メスリ山のは現物と思います。
61.89.161.17
とし坊
2014/09/22 07:47
この茶臼山古墳の西(第2保育園の北)にも古墳のようなものがありますが、調べてみても古墳なのか分かりません。Googleアースでは古い石碑、地蔵、墓石があるようです。ご存じでしょうか。

2015/03/07 11:40
形は一見、前方後円墳のような感じで「上げ山古墳」と一部の方が呼んでいるようですが奈良県遺跡地図には古墳とはされていません。敏達天皇皇女の桜井弓張皇女を被葬者とし10年ほど前にこの土地を買った地主さんが春に鎮魂春祭と称しお祀りをされているようです。恐らく単なる丘陵だと思うのですが・・・桜井市の埋蔵文化財Cで再確認お願いします。
とし坊
2015/03/08 23:12
後円から登ろうとしたらつるつる!
何とかたどり着いても一面の藪に断念…
10月では早かったようです…
おぎ
2015/10/28 13:42
おぎさん

残念ながら、今の季節は雑草だらけなんです。
「さくらい100選」に選ばれていますし、もうすこし整備されればいいのですが・・・
とし坊
2015/10/30 06:56

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