大和の古墳探索

アクセスカウンタ

zoom RSS 美努岡萬墓 (みぬのおかまろ)

<<   作成日時 : 2014/02/01 10:23   >>

驚いた ブログ気持玉 4 / トラックバック 0 / コメント 3

画像
★所在地:生駒市萩原町字竜王
★発見された経緯 : 地元の青年萩本忠平氏が明治5年(1872年)自宅のかまどの塗土を採取中に墓誌を掘り当てたらしい。
★埋葬施設:火葬墓(1958年の調査で判明)
この場所はもともと「竜王塚」と呼ばれる高さ約60cmの小さな高まりを持った場所で墓誌が発見された地点は墳丘のほぼ底にあたり東西にほぼ水平に埋められていたようである。
★出土遺物:墓誌のほかには遺物は見つかっていない。墓誌は縦30cm、横21cm、厚さ3ミリの矩形の銅製で墓誌の表面に縦十条、横十六条の罫を引き計173文字の銘文が刻まれている。 銘文によると美努岡萬は天武天皇13年(684年)に連姓をたまわり、文武天皇の大宝元年(701年)唐に派遣され元正天皇の霊亀2年(716年)従五位下の官位を授かり主殿寮頭に任命された。そして聖武天皇の神亀5年(728年)67歳で生涯を閉じたことが記されている。尚、墓誌は死後の2年後の天平2年(730年)に作られたものである。
★築造年代:728年(墓誌より)
★発掘調査:昭和58年に現地は造成工事で取り壊される運命にあったが墓誌の発見場所の再確認のため橿原考古学研究所が発掘調査し、この場所から明治5年に埋納された模造墓誌と炭化木が検出され火葬墓であることと墓誌の発見箇所が確認され改めて保存処理が加えられた。
★被葬者:美努岡萬
☆奈良検定テキスト掲載古墳
画像画像

            
特徴
奈良時代の高級官僚の埋葬方法を知る上で極めて重要な墳墓である

見学記おすすめ度
近年の開発で周辺はすっかり住宅街になり、こんなところに墳墓が・・・と思わせるようなところにあります。墓誌の内容は研究者によると香芝市出土の威奈大村(いなのおおむら)骨蔵器銘文、大阪の高槻市出土の石川朝臣年足墓誌とともに銘文内容が優れ墓誌の中でも優品の一つとされています。なお現物は現在、東京国立博物館に所蔵され重要文化財に指定されています。とりたてて見どころと言えるものはないかもしれませんが銘文から美努岡萬の人となりを想像しながら見学すれば、それなりのなろロマンに浸れるのではないでしょうか。ところで古墳時代を過ぎた頃の墳墓は古墳のような盛土がない為に農作業中に偶然見つかるケースが多く、この墓もそうですが闇に埋もれて消えてしまったケースも多いのでしょうね。

【参考文献】
・日本の古代遺跡 奈良北部   前園実知雄
・大和の古墳を語る         伊藤勇輔
・大和古墳めぐり           前園実知雄 

テーマ

注目テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
気持玉数 : 4
驚いた
面白い
ナイス
かわいい

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(3件)

内 容 ニックネーム/日時
こんにちは。
気球玉、2つおしました。
自宅からは、はるか南にあります。
いつの日か行きたいです。
ネェル・アーガマ
2014/02/01 12:26
早速見ていただきありがとうございます。気持ち玉2個もおおきに!です(笑)
このあたりは古墳の少ない地域ですがいかれる時は竹林寺古墳とセットでご覧になればと思います。
とし坊
2014/02/01 17:14
おはようございます!
いつの日か必ず竹林寺古墳と一緒に回ります。
ありがとうございます。
ネェル・アーガマ
2014/02/03 09:15

コメントする help

ニックネーム
本 文
美努岡萬墓 (みぬのおかまろ) 大和の古墳探索/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる